拒食症はアメリカの夢を見るか?

HMUF~~(hey my universal friends~~)

HAYD?(How are you doing??)

みんな聞いて。都甲先生のお蔭でわかった。

私が拒食症になってしまった最大の理由。
そして未だ拒食症が治らへん理由も。

答えは、

アメリカだ。

・・・・え???

って感じ?笑笑

だって私はずっとアメリカに行くために拒食症を治そうとしてたわけで。
その「アメリカ」が原因?って
みんなからしたらどういうこっちゃらほい?よね

早まるな。落ち着けみんな。
ひとつずつ、謎をといていこうじゃないの。
ついてきてや。トイレ休憩ないから、いまのうち行っときな~ね

私は、新入社員として会社に入る直前、
スウェーデン、ドイツ、アメリカを旅していた。

卒業式二日前?まではロサンゼルスにいた。ゴリゴリに時差ボケ。ウケる。
LAのMillenium dance complexというダンススタジオで
好きな先生のダンスレッスンを受けまくって、一日6時間踊る時とかもあった。
髪の毛は真っ赤。前髪は当時人生初のオン眉で、、
23歳が脳味噌にうさぎくっつけて、
ツインテール振り乱して街をスキップしてた。

こんなかんじ↓

タイトル「長靴下のピッピ」
このお団子つくるのに
たぶん1時間ぐらいかかってた。

タイトル
「競馬で稼いだ金で大学の授業料を払う女」
レッスンがない日は、ひたすらNCT127が行った聖地を一人で巡りまくっていた。
Santa Monicaにて。
ジェヒョン のポーズ再現してる我。
一人だと鬼如シュール。笑
タイトル「西新宿の中国人占い師」
これもNCT127が行った焼肉屋さん!
LAで仲良くなったひなちゃんが
一緒についてきてくれた☺️
ていうかデブすぎて見るの辛え。

当時、私は体重が60㎏ぐらいあって、普通に豚だった。
顔も板橋区のマンホールくらいでかかった。あ、それは今もかも、、、

アメリカは、そんなイカれた私を受け入れてくれた。

ほぼ毎日、少なくとも誰かひとりは私のStyleを褒めてくれた。
いやそんなことある!!??世界観がシルバニアファミリーすぎるだろってかんじで衝撃やってんけど。

あるんだな、それが。アメリカならね。

さながらやsっすい海外ドラマのワンシーンの如く
横断歩道ですれ違うおじさんに
「君のスタイル、イカしてるね!」って言われて
「ありがとう、あなたもよ。」
ってcoolに返事しながらスタジオに向かう日もあった。

ヨーロッパも同じように、私を認めてくれた。

パリの地下鉄で
無賃乗車のcheckしてた巨漢の女性警備員さんに Madamoiselle!!
って呼び止められて
え、海外で犯罪歴つくのはキツイ終わった とか思ってたら
「貴方、まるでセーラームーンだわ!!髪形、とっても素敵!!」
って褒められたりした。(※鬼の如く業務中)

その日の写真。
映画アメリの舞台のカフェに行った。
アメリ見たことないけど。
ていうか顔よ。背中に銃突きつけられてる?

日本では、こんな体験ほぼなかった。
もちろん、文化や国民性が違うから仕方ないことなんやけど。

わたしのStyleを受け入れてくれるみんなもいたけど、ごくわずか。
日本のみんなの多くはわたしを


「変(悪い意味で)」「しょーもない」「ブス」「デブ」「いい年して」

とかなんとか言った。
まぁ、正直どれも真理やと思う。日本という国の基準からすれば。

でも、真理やからと言って何も感じないわけちゃう。

シンプル辛かった。あんまりウケない。
ああ、わたしは認められていないんだな。
スイミーのエンディング部分のみをぶっこ抜いたような感情が常にあった。

誰かに言ったところで、どうせ理解してくれへんねやろな。と諦めていた。

私の「すき」を、日本のみんなは「きらい」なんやな

そう思う時があった。少なくとも、都甲先生たちに会うまでは。

でも

海外では、他人の目を気にせず
わたしの「すき」を合法的にぶちまける事ができた。


もちろん、”NO”なみんなもいただろうけど、それをかき消すだけの
でっかい”YES!!!!!”に包まれていた。 とttっても心地が良かった。

“I just do what I wanna do, I don’t care about others.”
を貫く―「私の好きな私」でいられた。
自分が何が好きかを判断できていた。その頃は。

そしてわたしは、直前までいたアメリカの残り香を身体に纏って
今の会社に入社した。

びっくりした。

アメリカと全然違っていた。


フットの後藤さんでいうところの
高低差で耳キーンなるわ!ってやつだった。多分私の耳は爆発した。

新入社員研修の時点で、ストレスがexplodeしそうだった。

まず、
大好きだったピンク髪を黒に戻したところから、frustrationがたまっていった。(カツラ被るか直前まで悩んだ)
鬼だせえリクルートスーツを着させられ
守る意味の分からん決まりだらけで
苦手なヒールを履いたまま、立食で1時間立たされて足は死に
しかも役職のおじさん相手にキャバクラ入店体験みたいなことして
黒いマスクしてるだけで、「やべえ奴がいる」と言われたり
(私は「黒いマスクの奴」として有名だったらしい。後で知った。)

あまりのstressに耐え兼ね、夜にホテルを抜け出して公園で踊ったりしてた。
ブランコに乗るカップルの直射視線を浴びつつ。
みせもんじゃないわよ!?みせもんだけど!

不満に思ってるみんなもいたけど
「まぁ会社なんてそういうもんなんじゃない?」
てな感じで私ほど憤慨している様子ではなかった。

ええ、真理だと思うよ。ソーイウモンね。はいはい。
でも、分かってても、嫌なもんは嫌やねん。そういう性格。
Childishだってみんなは笑うかしら?でも私まだ3歳だし。

日本文化のにおいが充満した会社で―

アメリカの残り香だけで戦っていくのは分が悪かった。

呑みの席がトラウマなので、自分の入社歓迎会を欠席した。
「新入社員は歓迎会に来るものだ」という無言の圧力に押し切られ、
別の会に行ったら
上司にセクハラ行為(直接的ではないけど)をされて、めちゃくちゃ気分を害した。ありえへん。今でも許せん。あーー思い出すだけで吐きそう。


それから私はどんどん

会社=敵と認識しはじめ

「絶対屈してやるもんか」という気持ちがぐんぐん成長した。

自分が納得のいかない会社ルールに触れる度に
上司に「これやる意味あります?」って喧嘩腰で聞いたりしていた。
まだ一年も働いていないくせに「海外に行かしてくれ」と言いまくった。
ふみふみとへむへむ(同期)には「いちいち反論せんでええねん」と何度も言われた。

上司や部長、先輩に何回も呼び出され
「そういう決まりだから」
「みんながやってるんだから」
「まだ新入社員だから」

私はこれらの言葉がだいきらいだった。
何度も言われた。

でも、私は反抗し続けた。納得いかなかった。
自分の決めた事を曲げたくなかった。曲げてしまったら、
「わたしのなかのアメリカ」が潰れてしまいそうだったから。

今振り返れば、当時ちょっと無理をしていた。
自分を見失うのが怖くて、過激なくらい会社に反抗した。
弱い自分を隠すために、強いふりをしていた。

そしたら「新入社員のくせにごり生意気なこと言うクレイジーな奴」
という認識をされた。 間違いございません。
浮いた。敵だらけになった。ド・当たり前。

文句と意見を混同して、
失礼に値するような態度も取っていた時もあったと思う。
そこは本当に反省しております、、、懺悔、、、

そんなかんじで最初は頑張っていたけど、
味方も装備もZEROの無課金アバターみたいな状態で
会社という巨大組織に勝てる訳もなかった。


私は、だんだん自信をなくした。

「どうしてみんな、私のことを否定するんだろう?」
「私が間違ってるんかな?」
「いや、そんなことない。だって、合理的じゃないもん。」
「でも、ふみふみとへむへむや、他のみんなは平気なのはなぜ?」
「なんで、わたしだけ? わたしが間違ってるんかな? 」

「・・・・・。」

アメリカの最期の残り香が全て消えた頃―


「みんなが受け入れられていることを受け入れられへん私が悪い」


と、自分を責めるようになった。

キレーーーーーに自分を見失った。(笑)
都甲先生に会う前の私に、逆戻りしてしまった。ああ、すみません、、

私が配属されたのは理系の脳みそに向いてる部署やったから
ド文系の私にとっては毎日が苦痛だった。

はいここでそこのきみはこう思うね?

「え、じゃあ理系の部署に入った理由は何?」と。

おこたえしましょう。

それは

アメリカです。

離乳食ぐらい噛み砕いてあげよう。

アメリカに、行きたかったから。住みたかったから。

実はアメリカでも就活をしてた。でもVISAの関係もあり
スキルも学歴もない私を、アメリカが必要とするわけはなかった。

でも私は、これ以上日本にいるのが無理だった。
海外の残り香が消えて、自分を見失うのが怖かった。

どうしてもアメリカに永住したかった。
私が私らしくいられる場所に、骨をうずめてゾンビなりたかった。
でもアメリカで職を得るのはかなり骨の折れる道のりだと気づいた。
私は焦っていて、
もうアメリカやなくてもいいから、とにかく海外にすぐ出な!と思った。

そこで私は
日本人で、アメリカやカナダなど海外移住した人をめtttっちゃ調べた。
「カナダの永住権をとった教授がいる」と聞きつけ
全然知らん教授にアポもとらず突撃したり(常識のあるみんなは取ろうね)
SNSで調べまくって、オーストラリアに移住した人にDMして色々話を聞いた。

3年生の冬休みに、 移住の下見のためにカナダやオーストラリアに行った。(笑)
まさに現地調査。豊田佐吉もびっくりの現地現物。
SNSで知り合った、カナダ移住した日本人に直接話を聞いたりした。
その人に、他に永住権を目指してる日本人や
実際に取った日本人を紹介してもらって、会って話を聞いたりした。

カナダのモントリオールでカフェに入った時、
「におうな、、、」と思って
隣の席にいた日本人に話しかけたら、永住権を目指している人たちだった。
職業訓練校の話など、いろいろ教えてもらった。

移住成功した人達の話を聞いていると
永住権とるのはめちゃくちゃお金も、時間もかかるし
法律もコロコロ変わるんで、
「去年までなら永住権申請できたのに、今年の改訂で無理になった!」

みたいな理由で、泣く泣く日本に帰っていく人だって沢山いると知った。
当然のことやけど、移住って
めちゃくちゃ険しい道のりなんだと知った。

でも私ははやくここから逃げたかった。
私は、「日本にいる私」を許せなかった。

こう振り返ってみると、結構クレイジーやと思う。自分でも。(笑)
海外の養子縁組とか調べてたもん。いやガチやで???
でも、それ程まで当時の私は切羽詰まっていて、必死やったんやろうな。
(当時も拒食症なってたし)
ほーーんとに視野が狭くなって、一ミリ平方センチメートルぐらいしかなくて

海外に行くこと=正解
それ以外=不正解

みたいな、ピタゴラスもびっくりのトンデモ理論に従って動いていたと思う。
拒食症とか、精神疾患になった脳味噌ちゃんはこう考えがち。認知の歪みね。

移住成功した人の話を聞くと


「結婚」
「現地で理系の職業訓練校を出て就活」
「日本で理系の仕事に就く→海外で就職」

この3つの条件だと、永住権を取りやすいことが分かった。

結婚は無理やし、職業訓練校に入るお金なんて無い、、
じゃ 「日本で理系の仕事に就く→海外で就職」
のルートでいこ。おし!!!もう残された道はこれしかねえ!!!

・・・・そういうわけで。
文系学部出身でも、理系就職できる会社を受けて
今の会社に入った。

でもこれが、大きな間違いであったということは

いわずもがな。

以前、拒食症なってから、都甲先生の啓示を受けたくて
都甲先生と、東京のおカフェでお茶をさせていただいたことがあった。
(都甲先生はバターチキンカレーを食べていた。麗しい、、、)

拒食症のこと、詐欺に遭った事、人間不信、職場のストレス、、、
大学時代からご相談に乗ってもらっていた、海外移住の話もした。

確か、仕事が全然好きじゃなくてつらい
みたいな話を先生としている途中
当時、糖分が極端に欠けたハリボテの脳みそでもって私は気づいた。
そして先生にこう言った。

「あ。というか、今ですら続けられないつらい仕事を、海外でできる訳がないっすよね、、」

先生は、「・・・ですねぇ~~」

みたいな反応だったと思う。ちょっと笑ってたかも。

みんなは「いやそらそやろ、はよ気づけよ」
と思ったでしょう。正常な脳味噌の私も、そう思う。オナキモ。

でも、拒食症になると、鬱になると、
正常な脳味噌は死んでしまう。ただのインテリアと化す。
正常な判断は出来ず、認知が歪んでしまい
このような間違いを犯す。

私はアメリカに囚われるあまり、超当たり前なことを見失っていた。
私は、「やりたくないことはできない」性格だということを。
そして狂うほどの飽き性だということを。

さっきも言ったように、私はド文系で
そして、シンプルに、理系の勉強が超苦手だ。はっきり言う。
算数すらできなくて、いつもふみへむに計算してもらってた。

入社後、新入社員向けの理系の研修が2カ月ほどあった。
勉強してもしても、右から左に内容がす~~~~っと通り抜けていった。
テストでは、ほぼ毎回ふみへむにボロ負けしていた。

テストの点数が書いてあるエクセルシートを開くと、
私の隣にある二人の点数は私の倍くらいあった。
そのシートは、わたしの評価者つまり上司も見ている。

新入社員のなかで、私だけ壊滅的に落ちこぼれだ。
新しい点数が出るたび、私は自信をなくした。
まるでその数字が、海外に行ける確率を示しているかのような
そんな気持ちだった。

あれ??なんで?
浪人のときは、少しづつだけどちゃんと結果が出ていたのに。
なんで集中できひんの?何でさっきから参考書のページが進まへんの?
なんで、なんでテストの点数が上がらんの??

アメリカに、海外に行くためには、理系の勉強ができないとあかんのに。
このままやと、ずっと日本にいることになってしまう。
そんなん絶対に嫌や。

もっとガンバなきゃ。でも、勉強してもしても理解出来ん
おもんない。でも、このままやと負けてしまう。

 おーーーい、勉強してもできないのは、楽しくないからだよ。
 興味がないからだよ。場所じゃないよ、マクドに行ったって一緒。
 きみは、「やりたくないことはできない」子でしょう?

心の中では気づいていた。でも、気づいていないふりをしていた。
それを聞くと、認めてしまうと、負けた気がするから。
私はめちゃくちゃ負けず嫌いだ。今までの人生、ずっと負けてきたから。

これ以上、自分に負けて、
これ以上、自分のことを嫌いになりたくなかった。

心の声に鉄製の蓋をかぶせて、私は自分に言い聞かせた。

「日本を脱出するには、理系の脳みそを手に入れるしかない」
「分からないのは、私が努力してないから」
「お前は本当にクズだ。みんなが出来る事ができていない」

このころから、私はすこしづつ、きれいに、壊れていった。

To be continued….

はいっっっっ!!!!今回はここまで~~。

あーつかれたぁ。色々思い出しながら書いたから、
メンタルが今沈んでおるわ、、、ウケる。
みんなもおつかれー。
けっこう内容が暗かったので、バランスとる為に


唐突にさっき撮った、「拒食症あるある動画」のせるわ→https://youtu.be/L3bPpPfqnT0

このブログに貼っつけようとしたら何故かエラーになったけん
前から持ってたYoutubetチャンネルに挙げた〜

図らずも、こんな鬼ごりしょーもない動画がYouTube最初の投稿になるのつらい。つらくね??

みんなお暇なら見ておくれ:-)

はい!!!!ここまで読んでくれたみんなは偉すぎるから
ハンカチ忘れてズボンで手拭いても私が許すよ。

今日もみんなが世界で宇宙一だぞ~~!!!!??
You are the universal best in this world!!!

Bye‼

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