11月25日は私にとってのChristmas (1)
Hi my universal friends~~ how are u doing?
宇宙のみんなやっほ~お元気?今日も飯食ってる?
やばいなんかまじでブロガーみたいだ笑笑笑
見てる人いんの?読んでる人いんのかなー????おーーーーーーいみんな見てる??笑笑
みてないのかなー。見てなかったからまじ滑稽だなー
まぁいいや。今日はぜttttったい書きたいことあったから、読者ゼロでも書いちゃうもんね~
てかさ昨日の文章自分で読み返して誤字脱字多すぎていや読みにくすぎ回転寿司ってなったよね笑(でもめんどいから直さない セルフフィルターよろしく)
今日は!!!!!はい!何月何日?せーーのっ
11月25日です。よくできましたみんなえらい
この日は、私にとって一年で最も重要な日のひとつです。何故なら、、、
都甲先生のお誕生日だからです!!!!!!!!!
はい!!!!狂うほどめでたい!めでたすぎるわ
東京23区全部歩行者天国にするレベルで、国をあげてパレードとかしてほしい。先生絶対そういうの苦手そうだけど笑笑笑
都甲先生ってだれやねん?というみおえなじー初心者のみんな よくぞ疑問に思った!はいウィキペディアおいで~~~~
都甲 幸治(とこう こうじ、1969年11月25日 – )は、日本のアメリカ文学研究者、翻訳家、早稲田大学文学学術院教授、讀賣新聞書評委員。福岡県出身。
1993年に東京大学教養学部教養学科表象文化論専攻を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻アメリカ科修士課程修了。同大学院博士課程、南カリフォルニア大学大学院英文科博士課程に在籍。
2004年、早稲田大学文学学術院専任講師就任。「村上春樹の知られざる顔」(『文學界』2007年7月号)では、それまで邦訳されていなかった村上春樹の欧米におけるインタビュー記事などを紹介した。柴田元幸門下。
恐れ多いながらも簡単にご説明させて頂くと、英文学のめtttttっちゃすごい教授さん です。
そして私が付け足すとすれば、都甲先生は
新宿区で最も神に近い存在であり、銀河であり、ギャルであり、温度であり、はなまるうどんである。
ってかんじなんだわ
もうね~~~都甲先生を文字で形容するということがおこがましいんだよなまじ、、、
私はそのくらい、都甲先生を一方的にお慕い申していて、心から尊敬しているし、
(※この宇宙には、ゆなちゃん、さきちゃん、私をはじめとする通称「都甲ガールズ」など都甲先生の信者が存在する。私は都甲先生のご迷惑にならぬよう、信者であることを隠しているが、ゼミメンバー曰く「バレバレ(笑)」らしい。いやまだばれてないと思うけどな~、、、)
私が早稲田の英文に浪人して入って、一番よかったことは
まぎれもなく「都甲先生に出会えたこと」
だと108394デジベルぐらいの大声で言えますね。
あっ待ってでもアメリカに留学したことも早稲田入って一番よかったことのひとつかもやべぇ笑 まぁいいや 一番は何個あってもいいわけよ
話すと長いんですけど、都甲先生は私の命の恩人の一人で、今もめっちゃ絶賛命を救ってもらっています。私は、自分のことが宇宙で一番嫌いで、いやもうほんtっとに自分のすべてが嫌いなんですけど
都甲先生がはじめて、私に生きる許可を出してくれたというか。私よく「おかしい」「変わってる」って昔から言われてて。
都甲先生に会う前、シンプルな感じで大学になじめず(つらいな~ 一年間必死に浪人して入ったのにね 今なら笑えるけど、当時は二浪して慶應行こうかまじで考えてた 完璧主義めんどくせ~)
「ダンスめっちゃうまくなるぞ!」ってバリごりに意気込んで最初に入ったダンスサークルもなじめず秒でやめました。
以下、回想
お酒が嫌いな私に対して
「え?お酒飲まないの??」
「?はい(だって炭酸飲めないしオレンジジュースおいしいやん)」
「あ~、そうなんだぁ(明らかなる冷め)」
「そうっすね~、、、(え?新歓でソフドリは重罪って法律昨日可決された?私そのニュース見てねぇ)」
ってやつを色んな所でやられたり、女は顔で選ぶとか、なんか当時の薄らさむ~~~い大学生ノリが私には合わなくてやめた。当時プライド高かったんだろーなー(笑)まぁ偏差値30くらいブン上げて、起きてる時は常に単語帳かノートを開き、血尿やら鼻血出るくらい勉強して入学したわけやしなぁ。
授業もつまらんし、友達と軽率に昼飯食うけど、なーーーーーーんかこうノリあわへんし、血死の思いで入った大学まじつまんな、、ってなって
毎日ただ家で洗濯をすることぐらいしか生きがいが無かったのよね。
そのうち
「皆が楽しいと思えることを楽しめない私はおかしい。」
「おかしいわたしはだめなんだ。みんなみたいに、nonno読んで冬になったら腕にファーついたコート着て、たまにバーベキュー行って、ジャニーズが結婚したらその日の朝となりの席の子に必ずその話をして、お昼にクリーム玄米ブランと野菜生活のフルーツ味飲まない私はだめなんだ。」
的な思考になったわけよ。
(これ炎上するかな?当時まだ私若かったのごめんね。クリーム玄米ブランすきよ 今は食べられないけど笑)
その後留学もしたけど、「4年間で卒業しなきゃいけない」という強迫観念から単位と成績とるために勉強ばっかしてて(今はめちゃごりに後悔 あそべもっと)留学終えた直後は、そんなにアメリカも英語も好きではなかったね。なんか不完全燃焼感があった。そして「留学を不完全燃焼した自分はクズだ」的思考になった。自尊心マジ鰹節のごとく削られていく~~~~
三年生の秋?までこんなかんじで、自分の人生に全然納得してませんでした。生きる意味ってなんじゃらほい状態。
てかそういや、アメリカ行く前に都甲先生の授業受けてたわ。そん時は
「この先生、授業前のお便りコーナー(※授業の時に配られる出席カードの感想欄に毎回先生へ質問を書く生徒がいて、次の授業で先生がおもしろおかしく返答をしてくれる。内容は英語、留学、文学、人生、就活、恋愛など多岐にわたる。もちろん私は毎回ド長文で出していた。事前に家で書いて持ってきてた時もあった。)おもろいな~でも英文学そのものは特に興味ないしそれなりにそれっぽいこと書いとくかぁ」的な感じでレポート出した。たしかエドガーアランポーの短編だったかな。
そしたら、都甲先生にボロカスに評価されたレポートが帰って来た。
「むりやり論を展開してるけど矛盾してる。おもんない」みたいなコメントが書かれてあった。
くsssssssっそくやしかった。正直むかついた(笑)
私はこれまでのmy lifeわりと「優等生」ってかんじで、自分の意見を押し殺して、「大人が好みそうな答え」を回答欄に書く子供だった。だってそのほうがいい成績とれるもん。いい成績とったら、大人は喜ぶじゃん。社会では評価されるじゃん?
だから今回もそれでいけると思って書いて出したら、都甲先生にぶった切りにされた。はじめてだった。
都甲先生の授業では、どんなにおかしくても、的外れしてても、「自分の考え」をぶつけることが大事なのだ。
でも私は「大人が好きそうな考え」はかけても「自分の考え」はわかんなくて、書けなかった。
だって私はみんなと違って「おかしい」から、自分の考えを言ったら「変」「間違ってる」って言われる。怖い。自分を否定されてまう。そーんなことを子供のころから無意識に思ってたんやろうね。そんでいつしか「自分の考え」を表現できず、自分の考えすら分からんくなったんやろな。
若林殿(お笑いコンビ オードリーの若林さん)も、エッセイでまっっったく同じこと言ってて、「わかりすぎ回転寿司ってなったもんな。」

若殿のエッセイ、ほんと良いから買ってみて。
とくに、スタバで新作が出るたびに買いに行って即SNSにあげるladyたちを「しょーもねー笑」とか言いつつ自分もめっちゃ買いたいけど買えないひねくれためんどくさいbabyたちにおすすめよん:)
ちなみに、都甲先生も読んでいらっしゃる。つまり買え、買うしかねぇ。
留学から帰った後、都甲先生の別の授業を受けた。ポーのレポートで「つまんない」って言われたことがすggっごい悔しくて、その授業のレポートはめttttっちゃ時間かけてかいたの。
「今回は、絶対論理に矛盾しないように課題きtttっちり読みまくるんや!!!それで先生に良いコメントもらうんじゃい!!!!revengeや!!!ぜttったいA+もらう!!!!」って思って頑張った。
前にボロカスにされた時のレポート引っ張りだしてもう一度自分で読んだ。確かに論理は死んでいて、自分でこんなカス提出したのか、、とめっちゃ恥ずかしくなった笑
留学先で論理の通ったレポートの書き方の授業を受けたおかげで、当時私は論理を通す事にわりと命かけていた。ピンク色に対する林屋ぺーとパー子夫妻ぐらいの熱量だった。あ、留学いった意味ちゃんとここにもあるじゃん。よかったね自分。
そして都甲先生の書いた「こんなレポートは嫌だ」集がプリントされた、一年前のレジュメを探し出して読み込んだ。ふんふん、こういう書き方はだめなのね。と日本語で書くレポートのルールを知った(三年になってかよ 遅ぇわ笑)
一年前は誤字すらチェックせず提出したけど、今回は何回も自分で校閲した。「論理の筋通ってるかどうか」に命かけた。
図書館閉まるまでパソコンとにらめっこした。私が担当する短編は、ハイチという国の作品でめっちゃマイナーやったから全然日本語の文献がなかった。 だから英語のサイトで文献を調べたりした。でも全然情報が無かった。もちろん日本語訳もなかった。それなのに娼婦という割と難しめのテーマだったから、英単語も知らないものばかりだった。片っ端から調べて書き込んだ。文章と文章の隙間が狭くて、めちゃくちゃ書き込みにくくて、何書いてるかよくわかんないところもあった笑
お風呂に入ってる時、ご飯食べてる時、洗濯してる時、とにかくハイチの娼婦とその客に思いを馳せた。「お、もしかしてこの表現はこういうことの比喩かな?」とか自分のアイデアを絞り出して書きまくって、でも次の日には「いやこれ絶対論理新どるわ、またボロカスにされるわ、却下」とか言って没にしたりを繰り返してた。
ベッドにあるカーテンの色はどんな色かなぁとか。ある日自分が娼婦の客の気持ちになって、謎にムラムラした日もあったこともないこともない。爆笑
なんか毎日めっちゃ疲れてた。5ページくらいのほんまに短い短編やのに。「文学を読んで、面白い論理を自分で見つける」って難しいんやなぁ~とかぼんやり思った日もあったこともないこともない。笑
とにかく、当時あほなりにやれること全部やった。 たった1500字のレポートに一週間命かけた。
それぐらい「つまらない」って言われたのが悔しかったんだな。そして、「おもしろい」って言ってほしかったのだな。「おもしろい脳みそを持った、都甲とかいう先生」に私の脳みそを認めてほしかったのかなぁ、そんぐらい当時も自分に自信なかったのかな。え、泣けるんですけど笑
今思えば、あの時ほど真剣にレポート書いた時ないかもしれへんなー。
そして運命のレポート発表の日!!!都甲先生の前の授業の時も、ずっとレポート発表の準備して、小声で何度も読み上げて、これでもか!というくらい準備しまくった。(前の授業の先生ごめんなさい)
そして、ついに、都甲先生の授業が始まって、私がその日一番最初の発表者だった。どちゃごりに緊張しながら発表した。めっちゃ早口なって、先生に「もうちょっとゆっくり喋って」と言われた。笑
発表が終わった後、都甲先生が口を開けた。
「え~~~、非常にいいですね、素晴らしい」
「おもしろいですよこれ」
!!!!!!都甲とかいう!!先生が!!!!今!!!!!!私のレポートを、「おもしろい」って言った!!!!!!
「これ、レポートにしたらA+とれるんじゃないですか?」
これを言われた瞬間、たぶんめっちゃキモイにやけ顔をしていた。
「あ、ほんとっすか、、、」とかクールに決めたつもりだったけど、イオンモールの広場にたまにくるめっちゃ上まではねる謎のトランポリンぐらい心は飛び跳ねていた。
やbっばいめっちゃうれしい。頑張ってよかった。都甲とかいう先生が、「おもしろい」って言ってくれた。みんなの前で。はじめて「純度100パー生絞りの自分の頑張り」を認めてもらえて、本当に嬉しかった。泣きそうになった。喜びに浸りすぎて、その後の発表者のコメントは全然聞いてなかった。 (その後の発表者のみんなごめんなさい)
校閲のチェックが入りまくったレポートのコピー用紙をずっと見つめて、
「いや~~~都甲先生の言う通り、私まじ着眼点あるな~~~」とか思っていた。発表前まで自信なさ過ぎて欠席しようかと思ってたくせに。笑 単純~あ、結局レポートはA+とれなくて、Aだった。笑 現実~~~~~
その時はA+とれなかったけど、そんなに悲しくなかった。そんなことより
都甲先生が「おもしろい」といってくれたことの嬉しさの方が3856928420倍勝ってた。

このメモも、たぶん8回ぐらいはコピーして精査したやつのはず。
授業始まるギリギリまで訂正しまくっていた。
物を捨てられない性格も、こういうときには役に立つのねぇ。ちなみに都甲先生の授業のレジュメやメモは全部残してある。当然。聖書ですから。
成績中毒者で「優等生」でいることに価値を見出していたリトルミオからすれば、これは歴史的瞬間だったのだ!!!!!!!いや~~ん成長~~~よかったねぇ~
そしてこの日から
私のなかで「都甲とかいう先生」は
「都甲先生」になり
そしていつしか「神」と崇め奉るほど
私は都甲先生の隠れ信者としての道を順調に歩き始めるのであった。。。
てなわけで次回につづく~~
(都甲先生のお誕生日中に全部か書き終えるつもりでいたのに、日付こえてもうとるやんけ全然無理やんもおおおおおおお計画性無さすぎちらし寿司つらい でもいいや自分甘やかしていいって都甲先生言ってたし。とにもかくにも宇宙一お誕生日おめでとうございます都甲先生 生まれてきてくれてありがとうございます 私の寿命ぜんぶ献上するので 狂うほど長生きしてください)
ここまで読んでくれたみんなありがとう!!えらすぎるから、友達に借りた折りたたみ傘のケースなくしても私がゆるすよ!
みんなおやすみ!love you all~~:)